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【アニゴジネタバレさせてください】ゴジラ星を喰う者はSF映画としてはよかったけど怪獣映画としてはイマイチだったよ〜

どうも、窓際サラリーマンのよしくんです。

今回はアニゴジです。

そうです。なにかと物議をかもしているアニメ版ゴジラの最終章がついに解禁。

2万年の時を経た地球でぶつかり合う人類とゴジラの攻防についに終止符が打たれます。

そして今回は、ゴジラの宿敵にしてライバルであるギドラが襲来。

今までSF色が強くてこれまでのゴジラとは一線を画してきた今作ですが、果たして今作はどうなんでしょうね。

 

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でも一貫性を持たせるために今回も怪獣の戦いは控えめなんだろうなと思いつつ、見てきた感想を書いていきたいと思います。

 

 

そもそもアニメ版ゴジラってどんな映画?

では今回のアニメ版ゴジラのあらすじをご紹介。

扉が開かれ、黄金の刻印が星を切り裂く。

21世紀初頭、ゴジラに地球を奪われた人類は、一部の人類を他恒星系への移住に送り出すも、計画は失敗に終わる。失意のまま地球へと帰還した人類を待ち受けたのは、二万年後の変わり果てた姿になった地球だった。

あらゆる動植物がゴジラ細胞を持つ<怪獣惑星>と化した地球。そこに君臨するのは体高300mを超える史上最大のゴジラ<ゴジラ・アース>だった。

ゴジラ討伐に執念を燃やす主人公ハルオは、人類の遠い子孫である種族フツアと出会う。ハルオたちは、フツアの双子の姉妹マイナとミアナの導きにより対G決戦兵器・メカゴジラの残骸が、増殖を続けていることを発見。残骸を構成するナノメタルを使って武装要塞都市<メカゴジラシティ>を起動させ、<ゴジラ・アース>に挑む。

この作戦の中、かねてより共存してきた異星人種族の一つビルサルドと人間たちとの亀裂が表面化する。ビルサルドのリーダー・ガルグの「ゴジラを倒すならば“ヒト”を超えた存在へ」という信念に対し、ハルオは「怪獣を倒すために自らも怪獣になってはいけない、“人”として打ち勝つべき」という信念を捨てられなかった。ついには、<ゴジラ・アース>を倒す唯一のチャンスを捨て、ハルオはガルグを葬ってしまう。一方、ハルオの幼馴染であるユウコはビルサルドによる人体の強制ナノメタル化により、脳死状態に陥ってしまった。

人間たちに広がる敗北感と虚無感。もう一方の異星人、宗教種族エクシフの大司教・メトフィエスは、ハルオが戦いに生き延びたことは“奇跡”だと唱え、信者を増やしていく。それはエクシフが秘め隠してきた“究極の目的”のためだった。そんなメトフィエスを警戒するミアナとマイナ。そして、ハルオは、自らが“人”として何を為すべきかを自問する。
やがて、<ゴジラ・アース>を打ち倒す者がいなくなった地球に、金色の閃光を纏った<ギドラ>が降臨し、天地を揺るがす超次元の戦いが始まる。
“ゴジラ”とは何か。“人”が為すべきことは何か。ハルオが目にする未来とは――――。
最終章で、そのすべてが明らかになる。

引用 INTRO / STORY|<全三部作:最終章>アニメーション映画『GODZILLA 星を喰う者』OFFICIAL SITE

 

長かった人間とゴジラの戦いも今回で一旦の区切りが付きます。

果たして勝つのはゴジラか、それとも人類か、はたまたギドラか。

ワクワクが止まりません。

 

今回は宗教色の強いつくりでした

一作目は映画の設定を説明、二作目は科学に対して人間がどう向き合ってゴジラを倒すかに着目して作られていました、そして今作では自分たちが神と信仰するものに対して自分たちがその身を捧げることで、ゴジラを含めてすべてを無に帰そうとする種族と人間との戦いが描かれていました。

あれ?

ゴジラは?

そうなんです。

このシリーズはもはやゴジラを通じて小競り合いを行う人類にかなりのフォーカスが当たっています。

これまでのシリーズもそうだったんですが、最終作である今回はさらにその雰囲気が強くなた気がします。

もうなんかゴジラはもはやピエロなんじゃね?

 って言い方は悪いですがそんな感じです。

今作では前回メカゴジラでゴジラを倒せなかったところから話は始まります。

みんなメカゴジラすらあかんかったので希望をなくしているんですよね。

そんな中人間とともに生き残った宗教一族のメトフィエスの信仰が絶望と虚無感しか残っていない人間の心にどんどん染み込んでいくんですよね。

あなたが生き残ったのは神のおかげです。

あなたが生き残ったのには意味があります。

だからゴジラを倒すために神を呼びましょう!!

そして私たちは神のためにこの身を捧げましょう。

っという流れでカルト集団的な熱量でギドラを呼び出すんですね。

まああんな状況じゃ、よっぽど自立心が強くなかったら何かに頼らずになんていられないでしょうしね。

というかなんか神に身を捧げて一つになるみたいなことってエヴァンゲリオンの人類補間計画とかナルトの無限月読に似てますね。

一方フツアも信仰している神がいてそれが、モスラになります。

今回は声だけでしたが。もう今回出さずにいつ出すねん。

そしてそんな状況説明をうまくしていたのが、環境生物学者のマーティン博士。

彼が解説者のごとく、説明してくれるので理解がめちゃくちゃ捗りました。

今メトフィエスが信仰を広めることで、ハルオ君から発言権を奪って皆を自由に操るつもりだ、

とか

ギドラに攻撃が効かない?そうか、奴は違う次元からきているからゴジラは奴を捉えることが出来ないんだ!!

なんて丁寧な解説を何度もしてくれます。

GOOD JOB!!マーティン博士。

そういう流れなんでどうしても信仰して神のための死を選ぶか、争って生き残ることを選ぶかという二つの思想の対立がメインで描かれちゃうんですよね。

 

SF映画として観たら結構満足

題名でも書いていいますが、SF映画としてみるとすごく満足できます。

というのも登場人物が今どういう状況かを解説してくれるんですが、それがもうすごく丁寧なんですよね。

なんかSF映画って難しい用語が並べられて、設定についていけないことがよくあるんですが今作ではそれをマーティン博士や母船のオペレーターががかなり丁寧に語ってくれています。

ギドラが母船を襲っている時に、オペレーターが一生懸命状況を分かりやすく説明しているのに、艦長がもっとわかりやすく説明できんのか!!って怒ってたのには吹きました。

いやいや、十分分かりやすいじゃんって。

そして展開も早く、映画を楽しめます。

 

怪獣映画としては絶対あかん奴ですわ

これまでいろいろ書いてきましたが、それでも僕は怪獣映画としてのアニゴジを期待していました。

飛び交う熱線、地形をも変化させてしまう激しい死闘。手も足も出ず何もできない人類。

しかし蓋を開けてみれば、ギドラもゴジラも動きが遅すぎる。どんだけノロノロ動いとんねん。

亀か!!

とツッコミを入れたくなるぐらい戦闘シーンが地味でした。

ゴジラはギドラに熱線で応戦するんですが、ギドラの攻撃は噛むだけですからね。笑

もっとなんかしてよ。

ゴジラも尻尾とか背鰭とかいろいろ使ってもっとバリエーションのあるアクションをしてくれよって感じです。

ギドラはメトフィエスを使って体を別次元に置きながら、ゴジラに攻撃を与えていました。

なのでゴジラの攻撃は効かないというチート技を使っていたのですが、ハルオがメトフィエスを倒したことからゴジラの攻撃がギドラに効くようになります。

個人的にここからガチンコの怪獣バトルを期待していたんですよ。

ところがメトフィエスがいないギドラの弱いこと、弱いこと。

マジでどこが神やねん。

もっとゴジラと渡り合うかと思ったら、コテンパンにやられてもうね、がっかりですよ。

ゴジラの熱線を食らって、消滅しちゃうし。

と愚痴が止まらなくなるくらい興醒めでした。

 

ラストのハルオの選択はいいのかな?

ギドラを倒してゴジラはそのまま地球の生態系の頂点に君臨し、ハルオたちはフツアとイチャコラしながら生活を送っているんですが、マーティン博士がユウコの体の中に残っていたナノメタルを使って一体残っていたバルチャーを直すんですね。

これを使えばまた文明を反映させることが出来るぞってね。

そこでハルオの脳内にメトフィエスの言葉が聞こえてきます。

また人間が繁栄を極める時、神に刈り取ってもらう

その繰り返しが運命なんだって。

そしてハルオはそのユウコをバルチャーに乗せてゴジラに特攻するんですね。

現存するナノメタルと兵器をこの世界から抹消するために。

というラストでした。

ここは好みが分かれるところかもしれません。

僕は納得できたけど。

 

ということでいろいろ書いてきましたがゴジラファンにはイマイチな作品でした。

でもゴジラ映画と思わなければ…。

 

ということで今回はここまで!!

ではでは!!!