さて、自己紹介でもしますかね~
どうも、しがないサラリーマンのよしくんです。
地方都市のメーカーで働いております。こんな僕ですがゲスいことが大好きです。例えば、お金とかどうやって女の子の気を引くかとか。笑 特にお金なんて増えることを妄想したらよだれが出てしまいます。笑 あと旅行が好きですね。ということでこのブログでは僕が普段関心を持っているお金や旅行や恋愛について投稿していきたいと思います。人生一度きりですからね。周りには楽しいことだらけなのでそんなんを投稿していきます。とまあここでまずは簡単に自己紹介をしたいと思います。
ガンダムより恐竜派だった小学時代
いまから二十数年前、岩手のド田舎に生誕する。下が家の前の写真。チョー寒いよ。
チョー田舎で1学年の人数は20人しかいませんでした。
そこまで行ったらみんな友達というか家族みたいなもんだね。(`・ω・´)b
僕が住んでいた地域は、ほぼみんながお互いの家のことを知っています。
なので何かあったらあっという間に噂が広まります。
僕が、あまりにも授業中に騒がしくしていたら教壇の隣に席を移動させられたことなんかはすぐに同級生のママたちに知れ渡ることになりました。
あの時はめっちゃ、怒られたな~!!
そして当時、同級生の男の子の中でガンダムが流行っていましたが、僕はめちゃくちゃ恐竜にハマってました!!
きっかけは映画ジュラシックパークです。当時の僕にとってはカルチャーショック以外の何物でもなかったです。ティラノサウルスかっけー!!!
僕が恐竜にハマってやっていたことは以下のことです。
・図鑑を読み漁る
・大好きなティラノサウルの絵を描く
当時は図鑑をずっと読み漁っていましたね。まじで。例えるならキリスト教徒が聖書を読む感じ。
汝隣人を愛せ、ならぬ 汝トリケラトプスを愛せ、みたいな!!Jesus!!
そして暇があったらずっと恐竜の絵をかいていましたね。今はもう残ってないですが。
映画、スマブラ、映画、スマブラ、時々ゴールデンアイの中学生
はい、中学時代は見出しに書いていることしかしていません。笑
特に映画は親が好きだったということが影響してどんどんのめり込んでいきました。一番きっかけを与えてくれたのはトムクルーズ主演「ミッション インッポシブルⅡ」です。
もうね、中二心のを鷲掴みですよ。特にこの映画を撮ったジョン・ウーという監督がまた中二心をくすぐるアクションを撮るんですよね。二丁拳銃に適度なスロモーションに・・・。
まあ長くなるんでここまでにしといて、そこから映画を観る頻度が指数関数的に増加します。イメージはこんな感じ!!
どこまでいっちゃうの!!!((''◇'')ゞ)
映画については今でも好きでいろいろ観てます。そしてこんな記事を書いています。
そして映画と同時にハマったのがスマブラです。
相当やりこみました。
自信があるやつ、
出てこいや!!!(高田延彦風)
暗黒の高校時代~浪人時代
ここで極度の反抗期が来てしまう。
なんか高校に入っていろいろな人に出会ううちに自分はなんて個性のないやつなんだっていうことに気づかされてしまい自暴自棄になってしまいました。
親にもあたるし。
うっせーんだよ!!ババアみたいな(実際は言ってないけど汗)
当時を振り返ると我ながら恥ずかしい。パピー、マミーすいません。
このころは何もやる気がなく、なんで生きているの?とか自問自答する日が続きました。何も生産的なことをしていなかった。
まさに失われた3年。しかもコミュ障。
あまり勉強もしなかったので受験も失敗し浪人することに。
ただ浪人にはめちゃめちゃお金がかかることを知っていたのでこのときは授業料を払ってくれた親に感謝感謝。
この感謝の気持ちを持つということがとても大事で、この気持ちを持つと自然と勉強がはかどりました。そしてなんとか大阪の大学に合格。19年間住んだ東北とは別れを告げることに。
新世界ならぬ新大阪編
ここから人生のピークに向けてどんどん加速していきます。
東北のド田舎で生まれ育った僕としては、大阪のすべてのものが新鮮で驚きの連続でした。最初地下鉄に乗ったときに女性専用車両があるなんて知らなくて間違って乗ったときはマジで焦った(;''∀'')。
初めて大阪来たときはみんな関西弁だし知り合いおらんし、軽くホームシックになりました。実際コミュ障だったし。だけども多くの人に出会えて大阪に来てよかったと思うようになります。
海外へ旅したい意欲が爆発する
もともと海外に行きたい意欲が強かったので旅をしたいなあという想いに駆られていまいした。
東北に住んでいると国際線が通っている空港がそんなにないので行きたくても気軽に行けなかったし、大阪だったら関西国際空港があるっていうのも大きかったです。そしてそんな中出会った部活が海外農業研究会という団体。
どんな団体かというと、
海農研(かいのうけん)こと、海外農業研究会は大阪府立大学文化部連合に所属する部活動で、
今から約60年前の昭和30年12月に発足し、 当時は「南米への移住とそれに伴う海外の農業知識の研究」を目的に活動していました。
その後、発展途上国における食糧問題調査、ミクロネシア ポナペ島の農業調査など農業を基盤にした活動が続けられてきました。現在では農業にかかわらず芸術や料理、動物、音楽などの自由なテーマで、夏休みに海外調査や国内実習を行いその内容を冊子にまとめて発表するという活動を主にやっております。また、キャンパス内にある農場で様々な作物を栽培したり、年2回の大学祭での模擬店や図書館での展示発表なども行っています。
他にも部員の誕生日会や山登り、冬の国内旅行、肝試しにクリスマス会、餅つき・・・などなどみんなが企画した楽しいイベントを自由にやっていま~す。あんなこと、こんなことなんでもやってみたいという方々ぜひぜひ入部をお勧めします!
なお、普段は毎週水曜日と土曜日に部会をしており、土曜日には農場の手入れ・作物収穫も行っています。引用
めっちゃ怪しいけど面白うそうやなってことで、ジャボーンと飛び込みました。そこから毎年どこかしらには海外を放浪するようになります。海外に行くことで僕は小学校の時にジェラシックパークを観て以来のカルチャーショックを受けることになります。
他人のう〇こを流しまくった中国
初めて海外に行ったのは中国です。この中国は驚きの連続でしたね。
見渡す限り、人、人、人・・・
これが13億人かって圧倒されました。そしてみんなバスとか電車とか並ばない笑。
まさに弱肉強食。ぼーっとしてたら何にもできない笑。
でも世界遺産の万里の長城や、紫禁城なんかはすごく面白かったし現地で買った安くておしゃれなTシャツなんかは今も着ています。
ただトイレ事情が…
観光とかして公衆トイレやお店のトイレに入ると
誰かのう〇こが!!!
流せや!!こら~!!!
ということでカチーンときてもう見つけた他人の奴はとにかく流しまくりました。
あの時はマジで腹立った笑。
そして思った以上にトイレットペーパーが常備されていない。
なので中国行く際はトイレットペーパーが必需品です!!
他人のS〇Xによって寝不足になったオーストラリア
オーストラリアには先ほど述べた海外農業研究会の活動で行きました。このときはオーストラリアに世界的に有名なはちみつ酒(ミード)を作っている農家さん(バーソロミューミーダリーってところ)がいて、その人たちにいろいろインタビューをしに行ったんですよ。ミードは日本最古のお酒と言われていて京都に専門店があったりします。
ミード はちみつ通販なら 京都の老舗蜂蜜専門店 ミール・ミィ
結構まじめな旅ですね。同じ部活のメンバー4人で行きました。
その農家さんがオーストラリアの南の方に住んでいるので、20時間以上かけてその農家さんに会ってきました。
そこで行ったインタビューなんかは部の会誌にまとめて学園祭などで配布したりしていました。気になる人はHPに掲載していますので見てみてください。
ここまでは至ってまじめだったんです。ここからとんでもない経験をします。
インタビューが終わってオーストラリアを回ろうと言うことになりました。いろいろ回って最後にケアンズという町につきオーストラリア最後の日を八人部屋のドミトリーで過ごします。雰囲気でいうとこんな感じ!!
ここではいろいろな旅人が同じ部屋で一晩を過ごすことになります。
このときは僕たち4人のほかに男二人組のイギリス人に女二人組のヨーロッパ系?のバックパッカーと同じ部屋になりました。
僕たち以外の他の2グループは同じ英語が話せるからかあっという間に仲良くなっていました。シャイな日本人全開です。
で事件はその夜に起こります。
僕たちは次の日が早かったのですぐベットに入りましたが、外国人グループはまだ話込んでいました。僕はなかなか寝付けなかったんです。そしたらその外国人グループの二人がベランダに出ていったんですよ。
間取りでいうとこんな感じ。
ベランダから楽しい話声が聞こえてきていたんですが、途中からそれがいわゆる男女が行う行為をしている声に変りました。
べランダに近かったのでまるぎこえでしたね。
イギリス人たち「Ohhhhhhhhh」
よしくん「うううううううう」
イギリス人たち「Ohhhhhhhhh」
よしくん「ああああああああ!」
イギリス人たち「Ohhhhhhhhh」
よしくん「くぁwせdrftgyふじこ!」
.....ぱたん
まったく寝れねー!!!
てか早く終われよ。こっちは明日早いんだよ!!ということでことが終わるころには空が明るくなり始めていました。
だんだけ絶倫やねん!!!
そして女のグループの方は何事もなかったかのように次の朝旅立っていきました。まさに一期一会。
日本人よ!!これが世界だ!!!
人生初のノマドワーカーに会うことが出来たブルガリア
学生最後の長期休みにどっか行きたいなと思いトルコのイスタンブールから入ってブルガリアを回ったときのことです。
ブルガリアなんて日本人はおろかアジア人すら見かけないのにたまたま宿で日本人と一緒になったんですよ。彼の名はテツさん。めちゃくちゃ渡辺陽一に似ています。
半年を日本で働いて過ごし、貯めたお金で海外生活を送っていました。当時はめちゃくちゃ衝撃でしたね。そんな生活をしている人がいるんだ!!って。それまではいい大学に入っていい会社で働くことがすべてと本気で思っていたから、鈍器で後頭部をドカッと殴られた気分でした。その時はヨーロッパを周遊しながら日本に何か輸入できるものがないか探しているといっていました。
なんかスゲーって思ったのを覚えています。そして思った以上にテツさんは現地人かしていました。実はヨーロッパではヨーロッパではマリファナなどの麻薬が結構簡単に手に入ったりします。もちろん禁止の国が多いですが、みんな隠れて普通に吸っていたりします。クラブとかでね。
テツさんも普通にやってました笑。
そして「大麻の種を日本に持ち帰ろうかな」とか言ってました。
さすがにそれはマズいと全力で阻止しときましたが笑。
そんなテツさんとはブルガリアで別れました。今はどこで何をしているのでしょうか?まじで連絡先を交換しとけばよかった...。
海外に行くことに一番のメリットは普段普通に過ごしているだけでは全く起こりえなかったことが普通に起こることです。人生を楽しむには旅は必要不可欠です。
そして自然とこのころにはコミュ障にも悩まなくなりました。そういう意味でも海外に行っていろいろな体験をしてよかったと思います。てか、海外いったらコミュ障とか悩んでる暇はありませんからね。笑
ブラックな研究室で武者修行
僕は理系の大学なので卒業をするために研究を行わなければいけないのですが、無駄にMだったので一番厳しいと言われる研究室を選びました。そしてそこでまたも自分がいかにコミュ障かということを実感させられました。頭ではいろいろ考えるんですが、論理的に人に説明するのが苦手なため、本当に研究に関しては苦労しました。それでもあの時は昼夜を問わずに没頭していました。もう僕にはこれしかないっていう感じでしたね笑。
今考えれば、なんであそこまでする必要があったのかと疑問に思ってしまうこともあります。でもそのうまく説明できなかったりコミュ障という問題を解決するには、他の人より圧倒的に他人よりも時間をかけて物事に取り組むしかないとそこで悟りました。しかしその他のものはほとんど犠牲にしましたね。就活も恋愛も。笑
でも卒業するときに恩師に君は成長したね、と声をかけていただいたことは今でも忘れません。たぶん僕が一番厳しいところを選んだこと自体は意味があったんだろうと今では思います。
まだ大手企業で消耗してます笑
大学を卒業してからは大手自動車の部品メーカーで日々消耗しています。笑 多くの人が大学時代は人生の夏休みだといいます。確かにと入社して少し経ったときに僕もそう思いました。
でも一度きりの人生なんで思いっきり楽しみたいじゃないですか。仕事つまらないとか毎日ため息ばっかりついていてもしょうがないじゃないですか。というか会社にはそういう人が多すぎます。そして楽しそうにしている人は
やっぱり
人生の生きる目的は自分が幸せになることだと思います。
僕の場合は好きな人と好きなことをすることが自分の幸せだと思います。
面白いと思ったことや書いた方がいいなと思ったことなどをこのブログを通じて発信したいと思っています。
人生は選択の連続です。
そしてその選択が正しいかどうかは、選択した後の行動で正解にも不正解にもなることを僕はこれまでの人生で学びました。
何を選択するかより選択した後にどうするかの方が重要だと思う件 - 一度きりの人生を楽しむには?
なので僕はこのブログを作ってよかったと自分が思えるように行動していきます。
今日はここまで!!!
ではでは!!